コミュニケーション実例集

ソフィーさんとのコミュニケーション

ソフィーさんについて

Nさんが初めてソフィーさんを見かけたのは、家路の途中、坂道をのぼった曲がり角の植え込みでした。すぐに、飼い猫ではないなと感じました。

ソフィーさんは、低い灌木の植え込みのそばで、きちんと尻尾を丸め座っていました。その当時すでに大人で、後からわかったことですが、避妊手術は済んでいました。

Nさんはその当時、特に猫好きというわけではなかったのですが、ひょうひょうとして媚びる感じではなく、かといって外で暮らす猫特有の人を怖れるでもなく、自然体で思慮深そう―そんなソフィーさんに、心惹かれるものがありましたが、そのうちふっと、姿を見せなくなりました。

それから1年ほど経ったころ、また見かけるようになり、ソフィーさんが元気なのだと知って安堵したNさん。早速奥さんのCさんに話し、家に連れて帰ろうということになり、迎えに行きました。

その日から家族となって、幸せな生活が7年続きましたが、徐々に年を重ね、身体のあちこちに不調が出てきました。

検査の結果、入院することになったソフィーさん。当初はとても協力的でした。ところが、次第に嫌がる素振りをみせるようになってきました。

ストリートキャットとして生きた経験と強い自己を持つソフィーさんは、いったい何を語るのでしょうか・・・

ソフィーさんとのコミュニケーションご報告より抜粋
ソフィーさんの印象
自分の意思(好きなこと、嫌なことなど)をしっかりもっている とても賢い 人を見抜く力がある 気が強い(芯が強い) 神経質な所がある 人懐っこいが、べったり依存はしない 自立している(人の世話になる点もありますが、気持ちの上で)  総じて、大人の猫 ソフィーさんとすぐに繋がることができたが、中々口を開いてくれない。呼ばれた場所は、入院中の病院ケージ前。今の状態に、大いに不満があるという気持ちだけが伝わってくる。 話してくれるよう説得すると、私を推し量るような顔をした後、決心したように口を開いてくれた。 「(NさんCさんご夫婦に向かって)私のことを心配してくれてありがとう。2人には、本当に感謝している・・・だから、最初に聞いておきたい。私が、私の意思や本音を言って、あなたたち2人は、本当にそれを聞き入れてくれる覚悟というか、気持ちは固まっている? 私が心配なのは、2人が私を心配してくれるあまり、私が本音を言って、2人が望む私の姿、私のこれからと違った場合、2人をがっかり(失望させやしないか)ということ」 ソフィーさんがそう話す間、自分の話すことをお2人が受け止め(受け入れではない)られない可能性があるなら、自分は何も話さずこのまま入院している。 そういう気持ちが、伝わってきた。2人なら大丈夫だし、私もきちんと伝えるよう努力すると話すと、再び口を開いてくれた
質問 これから先、病気治療のために入院、通院検査を我慢してやっていきたいか?ソフィーさんの希望はあるか?
「今、こうして、箱に入って点滴されているけれど・・・入院は嫌。私は基本的に、自由を奪われるのが嫌。ただ今、私は病気だし、2人の気持ちに応えて我慢している。でも入院より嫌なのは、身体を拘束されること。 治療してくれる先生が良い人である(もちろん、そんなことわかっている)とか、私がこうすれば長生きできるとか、数値が下がるとか・・・そういうことはわかっていても、私の尊厳が損なわれてしまっては、治療にならない。管に(点滴の)繋がれて、首には変なもの巻かれて、箱の中で、壁をじーっと見つめているだけ・・・そういう治療は、今回で終わりにしたい」 外の猫として生き、過酷なことも多かったであろう生活の中で、強い自己を確立してきた。そんなソフィーさんにとっては、繋がれるということ=自分の尊厳が損なわれることのようだ。 また、繋がれることは自由のない飼い犬を連想させる点もあるようで、とても強い口調で嫌だという意思を示した。
では、もし今回の入院を最後に退院して・・・結果、あなたの寿命が縮まるようなことになってもいいですか?
「かまわないわ」静かな口調だったが、それだけに、ゆるぎないものを感じた。
質問 何か言い残したことはないですか?
「Nさん(特にNさんに向かって話した)も知っての通り、私は元々自由な猫だったの。(M家に来て暮らした7年に、少し欠けるくらいの年月外にいた)困ったこと、寒さに震えていたこと、空腹でひもじかったこと・・・いっぱいあったけれど、それだから、私は2人の猫になったのではない。そのことだけは、知ってほしかった。 私を家に入れようとしてくれた人(手術してくれた人)もいたけれど、私はその人と(女性、あまり若くない)と暮らしたいとは思わなかった。ご飯をくれる人も、何人もいた。だけど、その人たちの後について行って、家を知りたいとも思わなかった。Nさんたちが家に連れてきてくれた後だって、逃げ出して戻らないって私が本気を出せば、それはたやすいこと。だから私が2人と暮らそうと思ったのは、私が可哀想な野良猫だったからではない。2人のことがとても好きになって、この人たちなら一緒に暮らしたいと思ったから。 出会いはどうであれ、私は、あの元居た場所で、たくさんたくさん見た人間、たくさんたくさん私の頭上を通り過ぎていったエネルギー、たくさんたくさん降り注いだ人間の声の中から、Nさんを選んで(みこんで)M家の猫になったということを、どうぞ、覚えていてほしい」


※ソフィーさんが旅立った後のセッション報告書を下記に全文掲載しています。
報告書の全文掲載
※お客様に許可をいただき、報告書を下記に全文掲載しています。
⇒ソフィーさんの報告書 全文掲載へ
NさんCさん ご夫妻からの感想

私たちは、動物さんにも意思や感情があり、人間の言葉を理解できるのだと、ソフィーと生活を共にして以来、素直に感じていました。
また動物さんと話が出来る人もテレビで観て知っていましたが、どうというわけでもなく、私たちには無縁なものと考えていました。

亡くなる半年ほど前のことです。もともと高齢で腎臓の具合が悪かったところに、肝臓も悪くなり入院治療をすることになりました。

入院中毎日様子を見に行きましたが、しょんぼりと俯くソフィーの姿を見るにつけ、飼主としてどういう選択をすればソフィーにとって最良なのか、病気を治すという前提のもとに本人が望まない処置•治療をしていないか、これは人間のエゴなのかと、日に日に思い悩むようになってきました。

ちょうどそんな時、かかりつけの獣医師から、テレビの中の出来事だったアニマルコミュニケーションを紹介されたのです。

実際受けてみると、私達夫婦の想像を超えていました。ソフィーが実に様々な想いを抱き、家族の一員として私達を愛し見守っていてくれたことに気づかされ、深い感動を覚えずにはいられませんでした。

ソフィーの意思をはっきり知った事で、先の見えない不安な思いや葛藤の中でも、何をするか、何をしないのか、悔いのないよう治療を選択することができました。

また、家族とはいえ、人それぞれ価値観や考え方が違うものです。家族間での治療方針の一本化ができたことは非常に大きかったです。ソフィーの意思を尊重した上で、ソフィー • 家族 • 獣医師が協力して最善の治療ができたことも良かったと思っています。

アニマルコミュニケーションが全ての問題を解決するわけではないと思いますが、セッションを受けたことで、最後の瞬間までソフィーと心を通い合わせて充実した時間を過ごせたこと、それは、お互いに何にも代え難い貴重なものとなりました。

今回このようなお話をいただき、私たちの体験やソフィーのセッション結果が、今お悩みの方にお役に立つのであれば、ソフィーはもちろんのこと、私たちも大変嬉しく思っております。

前田のコメント

外で暮らす猫たちと関わることが多い私にとって、ソフィーさんは、とても印象深く、特別な猫と言ってもいいでしょう。

彼女が語った「私が2人と暮らそうと思ったのは、私が可哀想な野良猫だったからではない」そう言った時の、静かで凛とした口調。今でも折につけ思い出され、私を原点へ戻してくれるのです。

気の毒な状況にある動物に、手を差し伸べるという行為自体はとても素晴らしいことなのですが、可哀想という気持ちが一人歩きすると、自分たちのエゴを押し付ける「正義の味方」になってしまいます。

正義の味方になってしまうと、自分のやっていることは何でも正しいと信じこんで、動物が望んでいることが見えなくなってしまうのです。

繋がれた犬を思い出すという気持ちを送ってくれた箇所も、直接言葉に出さなかっただけに、胸に響いてきました。

ソフィーさんのような外に居る猫の暮らしがいかに過酷なものか偲ばれ、人間に例えるなら、腕の立つ野武士の姿が浮かんできたものです。

ここで言う「繋がれた犬」は、現実的な犬のことより比喩的な意味合いが大きいのです。犬という動物ではなく、人間にお愛想をふる者、人間の言う通りになる者の例えです。過酷な生活の中にあっても魂は売らないという、気概のようなものが集約された言葉でした。

こんな風に記してきましたが、実際のソフィーさんは、力の抜け具合が絶妙な猫でもありました。

「あら、色々言っているみたいだけど、まぁ好きにやってちょうだい」
そう言って、うふふと笑っていることでしょう。

今彼女は、青い空の中、大いなる意識と同化した形で過ごしています。

よりいっそう豊かになったソフィーさんが、NさんCさんの元へ戻ってくる日を楽しみに・・・ソフィーさんへ、深い感謝と賛辞を捧げます。